原爆に遭ったおばあさん(2)

怪しいお話
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面会時間の終了間際、「おばあちゃんにさよならしてあげて」と言われ、兄弟や、途中から合流した従姉妹たちが彼女の手を握りながら、「早く元気になって」や「また来るね」など、客観的に考えるとむしろ”残酷”な言葉をかけていました。

自分の番が来たので、何気なく手を握ろうとした私は、思わず総毛立ちました。

小さくしなびて静かな彼女の身の内に巣食うエネルギーは、子供心にも凄まじいものでした。

それは、まさに「生きながらに暮らす地獄」でした。

自分が生まれるずっと前、一人の女性が現実に体験した出来事も、その経験と記憶から連綿と生まれ続ける苦痛や慟哭や怨嗟も、安寧として平和を貪る時代の子供にとって、理解どころか認識すらできない冥さと果てしなさでした。

心の闇に「密度」や「粘度」という尺度があるなど、それまで私は想像すらしませんでした。

後ろで祖母がイライラしているのが分かりました。
(私は自分の知覚について、大人になるまでほとんど誰にも話さなかったので)

私は必死でベットの上の手を握り、彼女の”不幸”に意識の焦点を合わせようとしました。

可哀そうなおばあちゃんだから、優しくしてあげなきゃいけない。

可哀そうなおばあちゃんだから、優しくしてあげなきゃいけない。

そう考えながら、同時に、私は自分が間違っていると本能的に気づいていました。

「可哀そう」も「優しくして”あげる”」も、ここまで生き抜いてきた彼女の魂に対して、おこがましいにもほどがあります。

その時、自分が感じていた複雑な感情が何だったのか、当時は良く分からなかったけど、大人になった今ならそれが、

「罪悪感」

だったのだ、と分かります。

子供だった私は、自分の発想を恥じていました。

帰り道、よそよそしい祖母に傷つき、当たり前で簡単なことができない自分が悲しく、悔しく、心底憎いと思っていました。

その後、彼女から(なぜか)私に手紙が来るようになりました。

最初は丁寧に返信していたけれど、そのうち、年齢の離れた女性に書くことが思いつかなくなり、日常にかまけることも多くなったせいで、私は手紙を書くのをやめてしまいました。

私は返信をしなかったのに、何度か手紙が送られてきました。

最後に届いた手紙は、代筆の女性が書いたものでした。

おばあさんの手紙はどれも、もう、私の手元にありません。

処分した記憶もありません。

私は長い間、彼女のことを忘れていました。

多分、辛すぎて思い出せなかったからです。

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