原爆に遭ったおばあさん(4)

怪しいお話
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以前、日蓮宗の僧侶の方とメールのやり取りをさせてもらう機会がありました。

かねてから、私は「高次元の法則」と「人心」の関係にジレンマを感じており、それに対する「落としどころ」へのヒントが得られるかもしれない、と期待していました。

自分の観察を踏まえる限り、この世に起こる出来事は「高次の法則」に基づいています。

どんな出来事も、発せられたエネルギーに応じて起こります

火のないところに、煙は立ちません。

起きる出来事は、ただ、ニュートラルです。

それが良いか悪いかは、人間による判断にすぎません。

もし、自分が発するエネルギーに応じて起きる出来事(または自分自身)が不快なら、エネルギーそのものを修正すればいい。

そうすれば、その出来事は起こらなくなります。

それが、スピリチュアル界隈で「学び」と呼ばれるものだと考えています。

また、肉体は、修正の”指標”として、痛みや苦しみ、喜びなどを感じるための「装置」だと思っています。

あくまでも、私個人の考えです。

余談ですが、学びは、しようがしまいがどっちでもよいものだ、と思っています。

自然や生命、社会的活動等、我々がそこに含まれるものに共通する摂理を「循環」とするなら、その一部を切り取ったものは「変化」です。

学びは、すなわち変化なので、”神(と呼ばれる存在)”はおそらく、学びが起こることそのものは歓迎するだろう、と思っています。

でも、変化が(人間にとって)良い方向か否かは、さしたる問題でないかもしれない。

なぜなら、彼らにとって我々は、大いなる全体から分化した、多様性の一表現型(変化率)なのではないか、と思うことがあるからです。

それなら、人がもし「もっと良くなりたい」と願うならどうすればよいのか、と私はずっと考えてきました。

その答えは、自分自身で「そう意図する」ことではないか、と(今のところ)思っています。

ともあれ、この性質のせいか、私は、不幸に対する認識の”閾値”が高い方かもしれません。

そんな私でも「生き地獄」と思うような人生は、たくさんあると思います。

それは、ただの「物理法則」の結果かもしれません。

でも、彼らは必ずしも悪人ではなく、むしろ、多くは”普通の”人でしょう。

どうすれば、彼らの「救い」がもたらされるのだろう。

自分の疑問は、宗教家(それも、より”現場”に近い)も直面する命題(または感傷)のような気がするし、教義という「常人をはるかに超えた頭脳や精神力、霊力を持った人たちの生涯を吸収した、数千年にわたる集合知」が、それをどう捉えているのか、に強い興味がありました。

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