原爆に遭ったおばあさん(5)

怪しいお話
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今回は(今回も?)、完全に私の個人的な考察です。

いつにもまして理屈っぽい上に、かな~りバチ当たりな内容なので、ご興味なければ他の記事で遊んでってください。

では、本題です。

僧侶の方は、いつも、長く丁寧な返信をくださいましたが、その論旨は常にシンプルでした。

私が理解する限り、

あらゆる人は、今、すでに完成されている。

完成がより完成に向かい、永遠に完成することはない

持って生まれた学びのテーマができていても、いなくても、全ては仏の御心であり、正しい状態である。

だから、仏の導きのもとで安心して修行してよい。

ということでした。

この論旨のコアは、

  • 仏という、絶対的な存在
  • 今を、絶対的に肯定する

だと思います。

この「絶対」にこそ、重要な意味があるのだろう、と個人的には感じます。

たとえば、何かに苦しんでいる人がいるとしましょう。

彼らが、今すぐ苦しみから解放されたい!と望んでも、状況がすぐに変わるわけではありません。

状況がすぐ変わらない理由は、多くの人が思っているものとは違うけど

でも、今すぐ楽になりたいんだ!

と思うなら、意識を変えるしかありません。

外側が変わらないので、内側を変える、というわけです。

もっとも手っ取り早いのは、「苦しい状況にある」という認識をやめることです。

所詮、状況は”ただの出来事”です。

それを、苦しいことだと思わなければいい。

そうすれば、吹き荒れる嵐の中で、自分だけ”無風”でいられます。

でも、それがナチュラルにできる人がいたら、むしろキモいレベルかもしれません。

まあ、そういう趣味の人もいるでしょうけど

で、個人的には、”絶対”を受け入れて、すべてを任せるということは、極端な表現をすれば「思考停止」に近い気がするわけです。

よりマイルドな表現するなら、「瞑想なしにマインドフルネスをするようなもん」でしょうけど

でも、それによって得られる安心感は、間違いなく「解放」のひとつのかたちでしょう。

これを「ゆだねる」と認識する人間は、仏によって救われる可能性がある、ということだと思います。バチ当たりロジックktkr

原爆に遭ったおばあさんの人生も、仏の導きのもとで正しい。

今、もしも彼女に手紙を送れたら、彼女はこれについてどんな返信をくれただろう、と、ぼんやり考えたりもします。

それはもう、永遠に不可能なことではあるけれど。

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