原爆に遭ったおばあさん(7)

怪しいお話
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判断や解釈が難しい問題に直面したとき、よく、おばあさんのことを思い出します。

「彼女にとっては、こんなのどうってことないかもな」と思うと、いっぱいいっぱいだった心に、少し余裕が生まれます。

おばあさんの肉体は土に還ったけれど、彼女は記憶に姿を変えて私のどこかに在り続け、私の意識にのぼる日も、のぼらない日も、お互いのエネルギーはたえず影響を及ぼしあっています。

私はもはや、彼女の鎮魂を祈ることしかできません。

でも、想念は本来、三次元的制約から(ある程度)自由なので、私の祈りは、私と彼女のエネルギーのつながりを通じて、あの日、ベッドの上で枯れ木のようだったおばあさんに届いているはずです。

あの時、幼い私が病院を出て家に帰り、やがて彼女を忘れてしまったとしても、今ここにいる私は、彼女のことを――ほぼ概要しかわからない、彼女の歩んだ道すじも、私以外に知覚する人はいなかったであろう彼女の地獄についても――ずっと、覚えています。

私の”スキル”の一部だけでも、時間や場所の干渉をくぐりぬけて彼女の元に到達し、彼女の痛みや苦しみをほんの少しでも和らげてくれるよう、祈りとともにエネルギーを送り出します。

それは贖罪ではなく、希望です。

きっと、仏さまが手を貸してくださるでしょう。

多くの人は、想念に無頓着です。


でも、一度放たれたエネルギーはこの世のどこかにあり続けます。

もしも、いつか形になれば、人を弱めたり活かしたりするかもしれません。

たとえ今は目に見えなくても、莫大な意味と可能性をはらんでいます。

ネットをぶらぶらしていると、巷に起こるネガティブな事例ばかりを取り上げ、それに対する分析や対策を詳細に記したサイトをいくつも見かけます。

その分野の専門家や、特定の出来事に関する参考資料を検索していてたどり着く、などの場合は有意義かもしれませんが、平時から、自分が体験してもいない、無関係なネガティビティを必要以上に知ろうとすれば、それらは「情報」ではなく、「不幸の種になるだろう、と思っています。

”種”は人の心の中で発芽し、人のエネルギーを吸って育ち、人を弱らせます。

開いた花がまき散らす毒はいずれ集合的無意識を浸食し、さらに奥にある”目に見えない場所”にじわじわと広がってゆくでしょう。

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