慧眼と超感覚の境目

癒し(時々邪悪)
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義父は寡黙で空気みたいな人だった。(クリックで別ウィンドウが開きます)

こんな風な「突出した慧眼」に関する話を見聞きすると、いつも、

もしかして、”お仲間”だったのかしら……

と、ちょぴっとだけ思います。

私の「同類」は、この世にそれなりの数は存在するはず……ですが、実際なかなか出会わないのでね。

スピリチュアル業界を極力避けて暮らしているせいもあるでしょうが

もちろん、このお義父さまが予知能力者だったより、専門知識があったとか防災オタクだったなどの蓋然性の方がずっと高い(はずな)ので、我ながら「雑でSFチックな妄想」ですけどね。

でも、それなりにつじつまが合いそうな気もするので、少し楽しい。

彼の準備は”予測”の域を超えてぬかりなさすぎるし、スキルの種類が何であれ、穏かに暮らしたいと思うなら、いたずらに”オカルティック”にならないよう、なるべく目立たないようにするだろうから。

スピリチュアル(目に見えないもの)は無料で、スピリチュアリストは「喜んでタダ働きする人種」だと思ってる人たちや、

スピリチュアルは個人の資質であって、公共財などではありません

「優しい魔法の力で癒しながら自分を変えてくれる」と都合よく誤解し、いつまでたってもエゴ全開の人や、

「ありのままの自分」を偽解釈して、他人に無理やり”泥が付いたままの大根”を食わせようとしてる自分に気づけない人種は特に

苦しい状況から、どうにかして救われたい(たとえスピリチュアリストの人権を蹂躙しても)と思う人たちは、それなりにいますもの。

人の苦しみを贖えるのは、その人自身と神様しかいません

ま、”いわゆる「トリックスター」が与えられがちな(押し付けられがちな)役割あるある”でしょうけど。

ユングの『元型論』やラディン他共著の『トリックスター』、河合隼雄の『無意識の構造』あたりに書いてあるやつ

ともあれ、もしお義父さまが「生活者」として暮らすことを選んだ予知能力者だったなら、家族の目に対して細心の注意を払い、ダブルスタンダードを駆使しながら、”自分だけが知る未来”に備え続けていたかもしれません。

たとえば、家族が出払った夏の日、ランニングとステテコ姿で畳の上に防災袋の中身を虫干ししながら、古いものと新しいものを入れ換えたり、

防災グッズの情報をメモしては、店にこっそり足を運んで性能を確認したり、

息子の嫁に詰られながら、孫を布団巻きにしてみたり。

でも、彼が本当に予知能力者だったとしても、人知れず準備をしながら考えていたことは、きっと、スピリチュアルな能力がない人と同じだっただろうな、と思ったりします。

”多くの人が知らない情報”は、良い内容よりもそうでないものの方が多いかもしれません。

多くの人が占いや予言に、”(自分がまだ知らない)とてつもなく素晴らしい秘密”を期待するのとは裏腹に。

どんなふうに生まれつき、何を知ったところで、結局のところ「人」とは、自分の大切な相手のしあわせを望むものでしかないのでしょう。

だから、彼が予知能力者であってもなくても、「準備が役に立つこと」よりも、「役に立つ日が来ないこと」を願っていたんじゃないかな、と思ったりもするのです。

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