私が学生時代、梅雨が終わって気温と湿度がぐんぐん上がり、蝉時雨と白昼の太陽が暴力的に感じられる頃になると、毎年、大学構内で”良く分からないもの”をちらほら見かけました。
それは陽炎や暑さによる錯覚ではなく、明らかに”何かのエネルギー”でしたが、「もし私に霊感があったら、あれは人に見えるのかな……」と訝りつつもスルーを決め込んでいました。
相手が人でも人外でも、良く分からないものは触らないに越したことはないからです。
とはいえ、それらがいなくなる時期を考え併せると、一つの想像がありました。
いわゆる”あの世から戻れるチャンス”に大学を訪れたいと思うのは、生前の幸福な思い出が大学――おそらくは学生生活――と強く結びついている人だろうし、その中には、学生以降の思い出を持たないからこそ、そうである人もいるのではないか。
私の母校では、1939年4月から1945年4月までに入学した内地出身学部学生13434人のうち4737人(35.3%)が徴集され、そのうち263人(徴集者の5.6%)が在学中に戦死したそうです。
戦没学徒兵の遺稿集「きけ わだつみのこえ」を読むと、約80年前、泥や汚物や血にまみれ、機銃掃射や爆音、傷疾や死や人間のエゴが充満する地獄に強制的に閉じ込められた若者たちが、どれほど家族や知己や学問を懐かしみ、どれほど生や平和な日々を切望したのか痛いほどに伝わってきます。
あの世には、生まれる前に”その人生で学びたいこと”を決め、死後には”その人生で学んだこと”を確かめるシステムがあるようなので、彼らにはあの境遇でこそ学びたいテーマがあったのかもしれません。
粛々と時は流れます。
大学構内も近隣の風景も、私が在学した頃からですら随分変わってしまいました。
もしも彼らが遠路はるばる戻ってきても、彼らにとって懐かしいランドマークは、学校のシンボルである2つ以外ほとんど残っていないでしょう。
そして、あの時彼らが渇望し、命を懸けて守ろうとしたものを、今、私たちは生まれた時から当たり前のように持っています。
この世の全ては”ただ、そうあるもの”で、時代や環境による違いも”そういうもの”だと思います。
それでも、一年のこのひと月だけは、誰かの愛する息子で、誰かの誇りだった兄で、誰かの可愛い弟だった彼らの気持ちに心を寄せ、冥福を祈り、感謝をささげたいと思うのです。


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