学びの”意地悪な”構造
学びとトラウマ
これまで書いてきましたが、誰にも必ず「学び」(=生まれる前に神と契約して決めてきた魂の課題)があります。
自分のエネルギー全体のうち、学びに関する部分のエネルギー(以下「学びのエネルギー」)は、自分にとってネガティブな形で現象化しやすいです(課題だから)。
現象化はたいてい、人生の初期段階から始まりますが、もしネガティブな出来事が”自分の肉体や精神を脅かす”ような内容だった場合、殆どの人は状況に対処しようとするでしょう。
生物には、自己保存機能が備わっているからです。
でも、”30代サラリーマンだった記憶と鋼鉄のメンタリティを持ったまま転生し、異世界で前向きかつ積極的にサバイバる”幼女↓でもない限り、子供の問題解決能力はたかが知れています。
幼女戦記は(表現ジャンルの枠を超えた)スピリチュアル観と戦略に一見の価値ありです
学びの種類によっては、”絶対にアンコントローラブル”な状況下に置かれることもある。
そこで、少なからず”心が折れる”経験をするはずです。
アンバランスの始まり
状況を変える力がなければ、合理的な次善の策は、精神的な均衡点の模索でしょう。
要するに、自分の外側をどうすることもできないので、”不快”に対して自分なりの意味づけをする、つまり、自分の”内側”で対処しようというわけです。
でも、”神との契約”は、そう甘くない。
稚拙なトライアルが、学びのエネルギーそのものを解消するケースは稀でしょう。
学びのエネルギーが存在し続ければ、その先もずっと、形は違えど根っこは同じ出来事を生み出し続けます。
その度に”対処”し続ければ、彼らのエネルギー全体はそのうち、”不安定なジェンガ”のような構造に収束するでしょう。
アンバランスでい続ける理由
エネルギー全体がアンバランスなら(肉体や精神面で)不快なはずですが、彼らがその状態でい続ける理由は簡単です。
アンバランスの解消には”根本”からの改善が必要であると(少なくとも潜在意識レベルでは)判っているけど、やりたくないからです。
アンバランスは本来不自然な状態なので、維持するには労力が必要です。
もしも今、非常にアンバランスな人がいるなら、その人は、ある意味これまで”とても頑張って来ている”わけです。
頑張る方向が違うので学びにはなりませんが、彼らがそれを受け入れるのは、そう簡単ではないでしょう。
結局のところ、アンバランスが彼らにとっての”慣れ親しんだ”形であり、その時点における”均衡”なのです。
魂の声
学びが解消されない限り、苦しい出来事という”学びに目を向けさせるためのアラート”も消えません。
顕在意識でどれほど思考と心を操作しても、魂は正直です。
だから、もしかすると彼らにとって、学びのエネルギーは、自分の中の”名状しがたい闇”のようなものかもしれません。


