決められない女(4)

怪しいお話
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ケメ子の話から少し外れますが、実は”ネガティブ”な出来事が起こるときは、ある意味「チャンス」です。

なぜなら、出来事の元となるエネルギーは目に見えないけれど、出来事になれば目に見えます

それを分析することで、元のエネルギー、つまり「物事が起こった本当の原因」が何かを推測できるわけです。

元となったエネルギーについて考え、それに対して適切な「改善」を行い、エネルギーを違う形に変えることができれば、これまでと同じ問題はもう起こりません

不快な出来事の(一つの)連鎖から、自由になることができるのです

この一連のプロセスこそ、スピリチュアルでよく言われる「学び」だと思っています。

ところで、エネルギーをそのまま放置していると、起こる出来事の規模が徐々に、より大きく、より複雑で、より解決がハードな内容になってゆく印象があります。

どうも、出来事の元となるエネルギーには「育つ」性質があり、それが存在する限り、目に見えない場所で、どんどん増大してゆくっぽい。

もし、それをとことんまで放置した場合、最終的には、エネルギーの改善を「強制的に」やらされる可能性があります。

つまり、「本人自身による対処を余儀なくされる」ような”のっぴきならない出来事”――たとえば、犯罪や失業、大事故や大病など――が起こりうるということです。

ともあれ、人に起こるいかなる出来事も、本来は、起こるべくして起きた、ただの”(スピリチュアル的法則に基づく)現象/事実”でしょう。

(時折、「そこから一体、何を学べというのだろう」と思うような、特殊でむごい出来事を見聞きすると、「摂理(=神)」って何なんだろう、と思うこともありますが)

そして、うわさ話や打ち明け話を聞いたり、ニュースを目にするたびに、私がいつも心の中で思うことがあります。

それは、

「もしも、その人が、目に見えないエネルギーの「仕組み」を知っていたならどうだっただろう?」

ということです。

彼らは、私が知っているような”目に見えない場所の法則”を知らなかった。

だから、それまでに起きていたはずの不快な出来事を”シグナル”として読み、対処するなど、思いもよらなかった。

だから、多忙や面倒さにかまけて、やりすごしたんじゃないだろうか。

もし仕組みを知っていたら、彼らのうちの何人か――全員ではなかったにせよ――は、より早い段階で「学び」に取り掛かったのではないだろうか?

選択肢の数が減り、”手詰まり”になってしまう、その前に。

続きます。

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