人生に与えられた猶予(前編):執念が招く失敗の連鎖

エッセイ

ある男性の人生

これは、ある男性の人生を、宇宙の摂理の視点から読み解く試みです。

誰の人生にも独自の理由がありますが、ここでは一つの「象徴的な例」として、「彼」の理由から私たちに通じる教訓を探ります。

※ 本稿は、個人の批評や、現実の人物・団体との関係を意図するものではありません。

始まりと栄光

「彼」は幼少期から、とある技術に強い興味を持っていました。

学業は優秀で県内随一の進学校に進学。しかし熱望していた大学には届きませんでした。

大学卒業後、アルバイトで生計を立てながら技術職として活動を続け、やがて友人たちと会社を設立。

業界の注目を集めるプロジェクトを立ち上げたり、権威ある賞を受賞するなど、目覚ましい活躍を始めました。

他業種とのコラボレーションやメディア露出を積極的に行い、数年間は順風満帆に見えました。

転落と最後の賭け

彼らの製品は独自性が高く、作りも丁寧でしたが、どちらかというとマニア向けで、ワンパターンの傾向もありました。

やがて売上げは落ち込み、新たな試みを乱発するも効果は見られず、会社は解散に至ります。

彼は同業他社に就職。この時期から病を発症したと見られます。

しばらく後、以前の仲間と二度目の会社を設立し、納得のいく製品を世に出し続けましたが、どれもほとんど話題になりませんでした。

窮地を脱するため、「原点回帰」と称して過去のヒット作をリメイクする計画を発表。

それは、まさに「最後の賭け」でした。

しかし、新製品の完成を目前に中心メンバーの一人が突然退社。

発売直前には、彼自身も病から回復することなく、この世を去りました。

スピリチュアルとの接点

彼の性格はプライドが高く、子供のような純粋さや頑なさがみられました。

仕事に強い情熱を注いでいましたが、私生活は不器用でした。

私は知人を通して、一時期、スピリチュアルな協力を期待されていました。

しかし、その本心は「エゴを手放さずに状況を変えたい」だったので、応えることができませんでした。

交流が途絶えて数年後、ある昼下がりに突然、強烈な眠気に襲われました。

意識の底に彼の名前と会社名が浮かび上がり、目覚めてからSNSをチェックすると、彼の訃報が投稿されたばかりでした。

病気だったことも知らなかったので、とても驚きました。

そのまま何気なく会社や個人のSNSを辿り、いくつか気づいたことがありました。

彼を取り巻く世界

創作の姿勢

「その後」の彼は、手当たり次第に突破口を探していました。

特に新規ジャンルの開拓に心血を注いでいた様子が伺えました。

ただ、時折挙げられていた参考資料は、主に芸能人やタレント実業家の著書、あるいは即効性を謳うハウツー本などばかり。

古典に当たる、一つのジャンルを徹底的に掘り下げるといった、根本的な探求の姿勢はほとんど見られませんでした。

また、新作を発表するたびにそれを自画自賛していましたが、いずれも『手札の順列組み合わせ』にすぎず、かつての受賞作を超えるものではありませんでした。

自己正当化

それにもかかわらず、SNSの投稿には常に、実情とかけ離れた前向きな言葉が並んでいました。

それは、言霊の力を期待しているようにも感じられました。

また、「応援してくれる人たちの期待に応えるために」成功すると頻繁に語っていました。

それは、外部からの期待を自らの行動原理に装うことで、結果が出ないことへの自己正当化のようにも見えました。

閉じたコミュニティ

彼の交友関係は、まだ大きな成功を収めていないクリエイターやエンジニアたちでした。

SNS上で互いの実力や作品を称賛し合い、未来への希望やポジティブな話題を共有するコミュニティを形成していました。1

彼の最後の恋人も、その中にいました。

創作家を名乗り、作風は個性的でしたが、専業ではなく、雰囲気先行で基礎力に疑問が残る印象でした。

彼の死の直前に、自身がモデルと思しき耽美的な画像に稚拙な造語を添え、「死は終わりではない」ことを暗示する内容の投稿。

そこには深い悲しみも芸術性もあまり感じられませんでした。

表層的な哲学と、強烈なナルシシズムを芸に昇華させきれないところが、まるで彼の「写し鏡」のように見えました。

脚注

  1. この状況は、一見すると「駄サイクル」――現実逃避によって成長が停滞する悪循環――に近い。ただ、一般的な駄サイクルは「行動の停滞」を伴うが、彼はむしろ積極的に行動していた(手当たり次第に突破口を探など)。後編で触れるが、それは「過剰なエゴに駆動された行動のズレ」であり、通常の駄サイクルよりも自己破壊的で、消耗の激しい循環といえる。 ↩︎

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