人生に与えられた猶予(後編):信念に立ち返る道

エッセイ

はじめに

前編では、彼が人生で辿った軌跡を追いました。

後編では、俯瞰的な視点から、そこに秘められた「理由」を探ります。

宇宙の摂理から見た彼の人生

結論から述べると、彼が望みを実現できなかった原因は、

宇宙の摂理に沿わない行動」と

「その行動を生み出した彼自身のエゴ

にあります。

まずは、誰の人生にも共通する「宇宙の摂理」から見ていきましょう。

変化を求める

宇宙の摂理の根本原理は、「変化」です。

すべての存在は、常に移ろい、循環の中で進化を続けています。

「彼」は仕事に対して情熱的で誠実でしたが、自己正当化を繰り返したことで、変化の流れが停滞していました。

過去作品をリメイク リメイクそのものが悪いわけではなく、「変化の流れが止まっている状態」で 過去の成功に頼る行動が、停滞を固定化してしまったという意味です。 したことは、摂理の視点では「変化の拒絶」とすらいえます。

「最後の賭け」での中心メンバーの退社は、彼らにとっては最大のピンチに見えたでしょう。

しかし実は、それは「最大のチャンス」でした。

その人物が、会社の自由度と柔軟性を奪っていた要因のひとつだったからです。

けれども、そのチャンスが活かされることはありませんでした。

現実化の加速を考慮する

現代では、思考や感情が現実化するスピードが、かつてないほど速くそのため、意識のあり方や選択が、短期間で結果となって表れやすいといえます。なっています。

SNSやAIなどの情報流通の速さが、その一端を象徴しています。

そこで重要となるのは、悪循環にはまる前に軌道を修正することです。

彼は、軌道を修正するための適切な方法やタイミングを見誤りました。

それは、彼の人生を大きく左右したはずです。

エゴという構造を理解する

摂理に沿わない行動を生み出したのは、彼の「エゴ」【エゴ】:誰もが持ちうる「歪んだ自己愛」「独善性」「猜疑心」「誇大妄想」「執念・執着」などの総称。つまり、「自尊心を守るための防衛システム」です。でした。

エゴにはさまざまな現れ方がありますが、ここでは彼に際立っていた「執念」と、その対立概念である「信念」を比較します。

両者の違いは、以下の表のとおりです。

信念(Belief)執念(Obsession)
基盤自分の価値観や道筋に基づく外的評価や成果に強く囚われる
姿勢状況に応じて方法を変えられる非合理でも同じ手法に固執する
充足感過程そのものに意味を見出す結果が出なければ満たされない
表1. 執念と信念の比較

簡単にいえば、信念は「何をするべきか」に、執念は「どうにかして望む結果を出すか」に焦点が当たっています。

彼の問題の焦点:嗅覚の欠如

彼の「執念」は、不満足な現実に直面して「自己正当化」を生み出しました。

自己正当化は、変化の方法やタイミングを察知する「嗅覚」を鈍らせます。

その結果、次の三つの問題に陥りました。

成功体験の慣性

彼は過去に評価された技術的スタイルや手法に固執しました。

本人はそれを「個性」と信じていましたが、実際には、すでに客観性を失った惰性になってしまっていたかもしれません。

高い技術力がありながら、変わり映えしない製品を生み続け、その延長線上に、「原点回帰」という致命的な選択がありました。

閉じたコミュニティ

彼が属していたコミュニティには「メジャーな活躍を強く望みながら、なかなかそれが得られない」人たちが集まり、互いを称え合っていました。

そこでは厳しい意見は排除され、彼自身も比較的「有力者」として扱われていました。

また、会社のウェブサイトに設けた交流の場には、わずかな熱狂的ファンが集っていました。

彼は常々「応援してくれる人たちのために成功したい」と語っていましたが、それは、「メジャーで成功したい」という本心の美しい言い換えにすぎませんでした。

安易な情報摂取

彼は創作に変化をもたらすために、本質を探求するよりも、即座に結果を出す方法を求めていました。

もしかすると焦りの現れだったのかもしれませんが、望んだものは結局手に入りませんでした。

ありのままの自分に還る

SNSを見ていた時、私は気づいたことがありました。

彼が亡くなる少し前から、私の携帯に月に一、二度ほど非通知の着信があり、彼の訃報以降、それが途絶えたことです。

着信相手を確かめる方法などありませんが、もしそれが彼からのものだったとしたら――

彼の周りにはもう、「本当の彼」と対話できる相手はいなかったのかもしれません。

非通知という“距離のとり方”もまた、彼らしい。

それはまさに、彼のすべてを支配したエゴの所業でしょう。

執念がもたらした価値

執念には、強いエネルギーがあります。

その力をバネに、彼は独学ながら高い技術を磨き、数年間とはいえ強いスポットライトを浴びました。

病を抱えたあとは、満身創痍ながらも挑戦をやめない姿勢を貫きました。

もっとも大きな功績は、生前に病を公表しなかったことです。

彼は「かっこよさ」に執着していたので、実力ではなく病気によって注目を集めたくなかったのかもしれません。

しかし発表された病名から症状の重さを推測すると、それは痩せ我慢などではなく、もはや矜持といった「美学」に昇華されていたといえるでしょう。

あったかもしれない未来

彼は長い間、出口を求めてもがき続けました。

でも本当は、すべきことは一つだけだったと思います。

それは、「今が理想通りでなくても、それを一旦赦す」こと。

根深い欠乏感を手放しさえできていたら、「執念」が縛り付ける悪循環から抜け出し、「信念」を原動力とする持続的な流れに乗れたかもしれません。

もしかすると、行き着く先は彼が望んだ場所ではなかったかもしれません。

しかし、もし自分にふさわしい場所で独自の立場を築くなら、それは成功以外のなにものでもないのです。

たとえ今がどうであろうと、自分という起点に立ち戻り、そこから新たに世界を見直すことは誰にでもできます。

それをなるべく早く行うことが、この時代を生きる私たちに共通の課題なのかもしれません。

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