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「学び」と「気づき」
どちらも、スピリチュアル視点から病気にアプローチする時、とても重要な概念です。
学び
「学び」は、生まれてくる前に決めてきた「魂の課題」のことです。
この世に生まれる理由と目的のひとつは、(人生のどこかで)その課題に取り組み、解決することです。
だから、誰もが必ず(その人なりの)学びのテーマを持っています。
気づき
その人に起こる出来事は、その人自身のエネルギーが現象化したものなので、魂の中にある学びのテーマを反映しています。
出来事を”情報”と捉えて、客観的に分析すれば課題解決の手がかりが得られます。
それを、「気づき」と呼びます。
「気づき」を基に、あなたの中の学びに関する部分のエネルギーを変化させることができれば、あなたの今世の学びは修了です。
決めてきた学びが一つだけとは限りませんが
病気と学び
病気も、その人のエネルギーが現象化した出来事なので、学びのテーマに関する情報が含まれています。
実は、病気によって感じる肉体及び精神的苦痛や、経済や人間関係などの困難は、 情報に注目させるためのアラートなのです。
だから本来、病気の症状などの”事実”は客観的に扱うべき”情報”で、ネガティブな”感情”は必要な情報を”知らせる”ためのものです。
実際そうするのは、なかなか難しいかもしれませんが
”ヒーラー”の母親が病気になる
数年前、私の母は、強い下腹部の張りと痛みに悩まされていました。
母は、30代で子宮筋腫の手術をしましたが、50代で大腸検診を受けた際、カメラが腸の途中で進まなくなったのを、担当医師が(筋腫の手術跡が癒着している可能性に気づかず)強く押し込んだため、腸が破れてしまいました。
冒頭の症状は、その後遺症です。
それ以外にも、20代の頃、医師によるミスで三半規管を損傷したり、40代の頃処方された薬で深刻なアレルギーを発症するなど、何度も、医療に不信感を抱くような経験をしてきたため、今でも母は余程でなければ病院に行きたがりません。
今と当時では”病院の社会的権威”のあり方が違うためか、薬害はともかく、ミスに関しても何の補償もされませんでした
私は、頻繁に「家事の手伝い」の名目で実家に帰り、ついでを装って母を”マッサージ”していました。
父にとって、私の”知覚”は不快だ(った)からです。

