スピリチュアルを病気の治癒に利用する(2)

ヒーラーの視点
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「学び」と「気づき」

どちらも、スピリチュアル視点から病気にアプローチする時、とても重要な概念です。

学び

学び」は、生まれてくる前に決めてきた「魂の課題」のことです。

この世に生まれる理由と目的のひとつは、(人生のどこかで)その課題に取り組み、解決することです。

だから、誰もが必ず(その人なりの)学びのテーマを持っています。

気づき

その人に起こる出来事は、その人自身のエネルギーが現象化したものなので、魂の中にある学びのテーマを反映しています。

出来事を”情報”と捉えて、客観的に分析すれば課題解決の手がかりが得られます。

それを、「気づき」と呼びます。

「気づき」を基に、あなたの中の学びに関する部分のエネルギーを変化させることができれば、あなたの今世の学びは修了です。

決めてきた学びが一つだけとは限りませんが

病気と学び

病気も、その人のエネルギーが現象化した出来事なので、学びのテーマに関する情報が含まれています。

実は、病気によって感じる肉体及び精神的苦痛や、経済や人間関係などの困難は、 情報に注目させるためのアラートなのです。

だから本来、病気の症状などの”事実”は客観的に扱うべき”情報”で、ネガティブな”感情”は必要な情報を”知らせる”ためのものです。

実際そうするのは、なかなか難しいかもしれませんが

”ヒーラー”の母親が病気になる

数年前、私の母は、強い下腹部の張りと痛みに悩まされていました。

母は、30代で子宮筋腫の手術をしましたが、50代で大腸検診を受けた際、カメラが腸の途中で進まなくなったのを、担当医師が(筋腫の手術跡が癒着している可能性に気づかず)強く押し込んだため、腸が破れてしまいました。

冒頭の症状は、その後遺症です。

それ以外にも、20代の頃、医師によるミスで三半規管を損傷したり、40代の頃処方された薬で深刻なアレルギーを発症するなど、何度も、医療に不信感を抱くような経験をしてきたため、今でも母は余程でなければ病院に行きたがりません。

今と当時では”病院の社会的権威”のあり方が違うためか、薬害はともかく、ミスに関しても何の補償もされませんでした

私は、頻繁に「家事の手伝い」の名目で実家に帰り、ついでを装って母を”マッサージ”していました。

父にとって、私の”知覚”は不快だ(った)からです。

続きます

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