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突然の入院
診察結果
私が実家に通い始めて数週間後、突然母は入院しました。
激しい腹痛を訴えた母を、父がすぐさまタクシーを飛ばして病院に連れて行ったところ、
大腸の、壁の薄くなった部分が腸の圧力で外側に向かって袋状に飛び出し、その中で細菌が繁殖しており、
放置すると動脈が破れたり、腹膜炎を引き起こす恐れがあるため、まず投薬治療をし、効果がみられなければ手術することになったのです。
死のトリガー
母の主治医はキャリアが長く、患者からの評判もよい人で、私も回診時にお会いして「この先生で良かった」と思いました。
父は、「手術やむなし」という態度だったし、私も「医師の判断は正しいに違いない」と思っていました。
だけど、それと同じくらい、
「母は手術したら死ぬだろう」
と思っていました。
手術によって、肉体とエネルギーの両方が影響を受けます。
手術はきっと医学的には正しいけれど、手術によって変化したエネルギーの部分がいずれ現実化して”死のトリガー”になるだろう、そして、そうなる理由に思い当るふしもありました。
スピリチュアリストのジレンマ
その時、母が置かれていた状況をスピリチュアル的に説明すると、
「これ以上生きても学びにならなそうだから、ここでリセット」
ということだと思います。
私の理性
人間はいつか必ず死ぬし、死は単なる”現象”です。
母は、日本女性の平均寿命よりは若いけど、”それなり”の年齢ではある。
それに、私は母が「学び」に目を向けてくれるよう、何度も何度も頑張ったのです。
でもダメだった。分かってもらえなかった。
スピリチュアル的には魂は永遠らしいので、母が今世で学びをやり残しても、どっちみち次回以降の人生で取りかかるのでしょう。
それは神と母の間の契約で、私にどうにかできることじゃありません。
本心
魂はともかく、肉体は有限です。
だから、今世の母はここで終わります。
親が死ぬかどうかの瀬戸際で、学びがどうとか、魂が永遠かどうかなんて、たとえそれが”正しい”と知っていてもクソの役にも立たないのです。
こんな性質に生まれて楽な人生でもなかったけれど、それでも守り培ってきた自分のアイデンティティのおかげで他の人の知らないことや解決策まで知っているというのに、こんな重大な局面でどうすることもできない。
なんて情けない話だろう
と心の底から思いました。

