(1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10)
病気は「学び」を報せる情報
チャクラ
私が”知覚”する、母の学び(の一つ)は「自尊心」です。
ヒンズー教や仏教では、人の身体には”チャクラ”と呼ばれる7つのエネルギーセンターがあり、それぞれには性質がある、とされています。

この概念を用いれば、母の学びの内容は第3チャクラに対応しています。
”傍流”のタスク
だから、本来、母の病巣は(常に患っている場所よりも)もう少し上であるべきでしょう。
そうでなかった(実際の病巣が常に下方にずれていた)理由は、母が母の人生を生きる中で、
メイン以外のタスクが大きくなりすぎて、本筋にとりかかれない状態
タスク=「仕事を構成するための小さな単位の作業」
だったからです。
学びをやらなければ起こること
本来の学びができない
スピリチュアルに限らず、普通の仕事や勉強でも、本筋とは直接関係ないけれど、目的を達成するためには必要な作業が発生することはよくあります。
母は、子供時代からずっと我慢を強いられた結果、第1チャクラが健全に機能しておらず、結婚後は、夫から妻というより”疑似母”として扱われるという経験をし続けた結果、第2チャクラが健全に機能していませんでした。
第2チャクラは性も司どっています
私の知覚によれば、どちらの出来事も、学び(メインの課題)に直接関係しているというよりは、「学びをするために選んだ設定にはそういう性質もあった(そういう状況も含む舞台だった)」印象なので、本来ならそれらのタスクは(今ほどには)重大でなかったはずです。
でも(後日書きますが)、この状態にしたのも母自身です。
ともあれ、身体全体のエネルギーの流れには、大まかに、第7チャクラから第1チャクラに向かうものと、第1チャクラから第7チャクラに向かうものの2種類あり、

第1チャクラと第2チャクラが”詰まって”いたので、第3チャクラ(の課題)が扱えない
状態だったわけです。
リセット
私が思う”神”の思惑(まあ、本当にそんなものがあるならですが)からすれば、きっと、”寄り道”も”袋小路”も間違いではないだろうし、なんなら学びに一切取り掛からなくても全くオッケーでしょう。
ただ、人が生まれてくる理由の一つは学びであり、それは神との契約なので、もしもやらなければ”キリのいいところ”で、
じゃあ、設定を変えてもう一度やり直しましょうかね
となるわけで。
つまり、母は「これ以上生きても学びにならなそう」なので「リセットしよう」という話に(神と母の魂の間で)なっているのだろう、と思いました。

