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その後
毎日膣から”汚物”は出続けましたが、定期的に血液検査を行い、心配されていた項目の数値がほぼ問題なくなったため、それから一か月足らずで母は退院しました。
帰宅後も、汚物の様子は相変わらずでしたが、1年半経った頃、全く出なくなりました。
その間、何度か手術を勧められましたがしなくてすみました
私が見る限り、かなり早い段階で母のエネルギーは”治っていた”と思います。
エネルギーと肉体の状態にタイムラグがあった理由は、母(の潜在意識)が「元気になれば、自分の立場が元に戻るかもしれない」と考えていたからだと(私は)思います。
病気のままでいれば、父は今までよりは家のこともやるし、母を気遣います。
少なくとも家族思いではあるからです。
でも、母自身が交渉してそれを実現することは難しい、と母(の潜在意識)は思っていたのでしょう。
母を生かすためにしたこと
やりたいことをやる
母を長らえさえるために、私はマッサージをしたり、こまめに家事を手伝ったり、話し相手になったりしましたが、一番意識したのは「母がやりたいことを励ます」でした。
それが、彼女の学びのテーマ(自尊心)と密接にかかわっているからです。
これまで母が通信教育で絵や手芸を習おうとするたび、父は「そんなものが何の役に立つのか」「家事に支障が出る」などと言っては、邪魔をしてきました。
病気になる少し前、母がNHKラジオ放送で英語の勉強を始めた時も同じで、「その年齢で何の意味があるのか」とからかったり、頼まれてもないのに文法を教えたり発音を治したり(しかも時々間違っている)していました。
母が昔から得意だった習字を始めた時は邪魔しなかったところを見ると、父は、母が自分のテリトリー(許容範囲)から外れたことをするのが気に入らなかったのでしょう。
でも、習字は「なにかやってみたい」と思って始めただけで、母の本心からの欲求でなかったので、長続きしませんでした
私は勉強を教えたり、使いやすいノートやペンを買って渡したり、NHK語学のアプリをDLしたりして応援し、父が茶々を入れる度に一貫してナチュラルに「何が悪いねん」という態度で母を支持するよう心掛けました。
流れを変える努力
一度出来上がり、何十年もそのままだった(エネルギーの)状態を変えることは容易ではありません。
タイミングを見て、少しずつ、少しずつアプローチし続けなければならないので、よほど強い目的意識や意思が必要でしょう。
今年の母の誕生日、父は2万円もする高性能ラジオをプレゼントしていました。
母が勉強しているプログラムの放送時間は早朝と夕食時なので、予約録音できるものがあると便利だからです。
一滴一滴はたとえわずかでも、涓滴はいつか岩を穿つものなのです。
次回、最終回です

