前世について
誰かと話していると時々、相手とは見た目が全く違うけれどそれを本人だと感じる人や、知らない時代や場所などのイメージが浮かぶことがあります。
それは相手に関する既存の情報から私が無意識に作り出したイメージでしょうが、たまに突拍子なさすぎるものが浮かぶことがあり、会話の中でそれとなく探りを入れると、イメージと関連する相手の新事実を知ることがあります。相手の前世に関係あるのかな、と思ったりします。
もし前世が存在するなら自分のも知りたいと思い、一時期さまざまな手法を試しました。
その時見たいくつかのヴィジョンの中で、最も興味深かったものについて書いてみます。

私の前世
前世の私
これは、瞑想によるヴィジョンです。
変性意識状態に入った後、私が最初に見たのは、急な石畳の坂道を上っている自分の足でした。
坂の左手には鮮やかな碧海が広がっていました。季節は初夏で湿度が低く、快晴でした。

そこでは私は30代後半から40代前半の男性でした。背が高く、がっしりとした体型で、髪と髭は茶色でした。
麻の貫頭衣に、皮を簡単に編んだサンダル。髪の毛はボサボサ。身なりには無頓着な様子でした。
女性も老人も、すれ違う人はみんな私に親しげに挨拶しました。荷車をひく男性が、「先生、これ持ってけ」と野菜をくれたりもしました。
私は独身の町医者で、坂の上のパン屋の二階に下宿していました。
広い部屋の中には粗末な机と本棚とベッドしかなく、本棚には専門書や詩集などが数冊あるだけで、聖書はありませんでした。
朝になると、坂を下りて小さな診療所で仕事をし、夜は坂を上って帰宅し眠る。治療費が払えない患者は、無償で診る。
判で押したような毎日を、不満を感じることなくただ淡々と暮らす。
私の一生はそれだけでした。
前世での人生
その私はそこそこ裕福な家庭に生まれ、小学校に上がると寄宿舎に入りました。
教師から進路として神学と医学を提案され、「現実的に人を救える」という理由で医学を選びました。
パン屋の主人には、10代の娘がいました。
彼女は赤毛でやせっぽち、そばかすで美人ではないけれど、小鹿のように素直でつぶらな瞳をしていました。また、フォーレンダムの民族衣装に似た帽子をかぶっていました。

彼女は私を慕っていましたが、それは信頼や、無邪気な「大好き」のようでした。
私も彼女を「可愛い……」と思っていましたが、劣情に駆られるわけでもなく、「まあ、歳の差もあるしね……」と心の中でひっそり完結していました。
私のささやかな楽しみは、毎朝彼女が私の部屋のドアをノックし、朝食を知らせに来ることでした。なんというぐう聖
前世での死
私は50歳になる前に死にました。
ある朝目覚めると、身体が漬物石のように重く、どうしても起き上がることができませんでした。
医師の観点から客観的に判断し、「ああ、このまま死ぬのだな」と無感情に思いました。
そしてドアの方を見て、「今、あのドアが開いて、最後に彼女の顔を見ることができたら良いのにな」と思いました。

私を最初に見つけるのは彼女だろう。私の返事が無ければドアを開け、とても驚くだろう。
若い娘には、可哀相だ。でも、もう自分にはどうすることもできない、と静かに思いました。
彼女は悲しんでくれるだろうかと思い、すぐに、彼女が悲しい思いをするのはよくない、と打ち消しました。
私が次に気づいた時、全く違う場所にいました。
次回は、死後の話です。