私の前世の話(後編)

エッセイ

死後の世界

明るい場所

気が付くと私は、真っ白で清潔な雲が立ち込める場所にいました。

雲の向こうには強い光源があり、雲に光が反射して、辺り一面眩いばかりの明るさでした。

目が慣れるにつれ、雲のすき間から人間の身体の一部(裸の腕など)が見えていることに気づきました。”それ”は人間よりも大きく、性別は女性のように感じられました。

”それ”は私に、「あなたが、この人生でやり残したことは何ですか」と尋ねてきました。

私は、「思い残したことはありません」と即答しました。

”それ”は、「あなたは、とても良い人生を生きました」、「次の人生は、あなたが好きに選んで良いですよ」と言いました。

私は「特に、希望はありません」と言いました。

本当に、何も思いつかなかったからです。

あの世のルール

”それ”は沈黙しました。

そのままかなりの時間が過ぎ、私は「もしかすると、自分で何かは選ばなければならないルールかもしれない」と思い始めました。

そこで、「今の自分と正反対にしてください」と言いました。

自分は西洋人の大男なので、東洋人の小柄な女性に。

この人生では、何かに心動かされる経験がなかったので、ものごとを深く感じるという感覚に興味がある。

話しているうちにアイディアが湧いてきて、

この時代では誰にも見ることができない場所やものを見られるくらい科学技術が発展した、ずっと先の未来に興味がある。

この人生では普通の家族を体験しなかったので、次は、その時代におけるスタンダードな形の家族を体験してみたい、と付け加えました。

私の感想

来世の選択

今の私は、まさに”彼”が望んだ通りです。

時代や国については具体的な指定をしませんでしたが、20世紀末から21世紀初頭の日本で平均的な家庭に生まれた女性というのは、人類史上最も幸福1な境遇の一つではないかと私は思います。

彼が生前に積んだ徳に対して死後の要求が小さすぎたことで余剰が生じ、それを私が受け取ったからかもしれません。

不思議な実感

彼と私はほとんど似ていませんが、彼の人生を彼本人として体験することで、私には奇異に感じられる彼の言動が、彼自身にとってはあたり前という感覚を実感することができました。

また来世の選択時、私なら何よりもスピリチュアル能力を持たないことを希望します2が、彼は人間だった頃よりもはるかに認識力が高い状態だったにもかかわらず、それについてこれっぽっちも考えていませんでした。

まるで「三次元ベースの発想が存在しない高い知性」ような感覚でしたが、それはもしかすると「魂の感覚」かもしれないと思っています。

臨死体験との比較

それから10年ほど後、立花隆氏の著作を読んでいたら、前述した体験が体感で蘇るような記述を見つけました。

それは三人の医師による臨死体験ですが、要約すると、

  • 身が軽くなり、ベッドから離れ、白光(極めて明るい但し眩しくはない、気持ちの良い温度)の中を猛烈なスピードで上昇。さらに頭上の上の密度の濃い白光のかたまりの中に入っていった。
  • 真っ暗なトンネルの向こうに自由の女神像くらいの大きさの巨大な輝く光がある。光の全体像はキリストの姿をしている。
  • 病室の天井辺りからベッドに横たわる男と老婆を俯瞰している。医師として、男は助からないと判断し、二人が自分自身と祖母だと気づいても冷静で第三者的でいる。

睡眠との比較

その感覚を、今でもたま~に体験することがあります。それは朝方のまどろみの中です。

私の認識は拡張されており、覚醒に近づくにつれ、それはどんどん狭まってゆきます。

この状態じゃなくなるのは残念だ。またあそこに戻るのか。

まだ続いているからしょうがない、でもめんどくさいな。

目覚めた後、それは魂の本音だろうかと思ったりもします。

今のところ死ぬ気はさらさらありませんが、いつか私が肉体から離れた時、心からの自由を感じ、「もう、あそこには戻らなくていいのだな」と思うのかもしれません。

脚注

  1. 治安や利便性や豊かさ、心身の自由度や自己実現の可能性などを総合的に評価して ↩︎
  2. 三次元では死ぬほど邪魔になるからです。 ↩︎

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