自分の前世を見た話(4)

怪しいお話
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普通に欲深い今の私から見れば、彼の人生は、ただただ「人のための一生」でした。

彼は、そのことに対して不満どころか、疑問すら持っていませんでした。

彼のことを思う時、私はいつも、彼より前の人生はよほど酷かったのだろう、と思います。

生命の本質の定義は諸説あるでしょうが、私は動的平衡をふまえた「変化」でイメージしています。「欲」は、変化を安定的に維持する機能の一つだと思っています。

私にとって、彼のような”完全なる中庸”は停止であり、すなわち「死」です。

転生を繰り返す中で、一度も罪を犯さなかった人はいないでしょう。

でも、今の自分の”スキル”を考えあわせると、私の魂には、人ひとり分の一生を以ってしても解消できなかったほどの「業」があるのだろう、と思います。

先祖が身に封じた因縁を、代々、蟲を封じた話を書き残すことで減らそうとする”狩房家のお嬢さん”のように、今の私はまだ、業を昇華する長い道のりの途中なのかもしれません。

それを実証する方法はないので、他の記事同様、これも一般的には世迷い事の類でしょう。

でも「実証」とは、何かが正当な事実であるという根拠を第三者と共有しうる場所に求める行動です。

もし、それが自分にとって揺るぎない真実であるなら、実証などそもそも不要でしょう。

私は今、「彼に(も)望まれて生まれてきた」と思っています。

20世紀末~21世紀初めの日本で庶民、しかも女性であることは、他のあらゆる時代、場所、性別の人と比べて、身辺の安全や、生活の利便性、意志決定の自由度や自己実現など、多くの点においてかなりラッキーと言えるのではないか、と(勝手に)思っています。それらを望むことすら難しい人は、無数にいた(いる)はずです。

自分の知覚を踏まえる限り、日本も世界の多くの国々もこれから大きく”変わる”だろう、と予測しています。

個人的には、それは、多くの人が正しく望む方法を知らないからだ、と思っています。

今のところ、私の望みのひとつは、「自分の寿命まで、安全に、最大限楽しんで逃げ切る」ことです。

私は、この世の全ての人は、望まれて生まれてきたと思っています。少なくとも、前世の自分自身には。

それにしても、この世はずいぶん不条理で理不尽です。

とある密教の高僧が、「もし本当に神が存在するなら、なぜ戦争や貧困など、悲惨な出来事がなくならないのか」と問われて、「この世は”舞台”だから」と答えたそうですが、高次元の摂理を3次元の感覚でみると、時に非情にすら思えます。だまし討ちに合った気がしてくるほどです。

それでも”バトン”を引き継いだなら、全ての人には、今ここにいる理由と意味があるはずです。

私がみた”転生プロセス”では、生まれる前に「目的」を決める必要があったからです。

それが真実かどうかはさておき、もし、この混沌とした世界に、私たちにとってのよすががあるとすれば、それは生きること=変化し続けることかもしれない、と思っています。

私はいつも、この世の一人一人が、自分にとって、より満足に生き続けられる世界であるよう願っています。

それこそが、私が「逃げ切り」についてなど考えなくて良くなるための道の一つだと思っているからです。

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