スピリチュアリストから”相手にされない”人ってどんな人?(後)

怪しいお話
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”持てる”者は、学びづらい?

学びに必要な心構え(覚悟)

「学び」に向き合う時に感じる不快感をおしてもなお学びに取り組むには、それなりの心構え(覚悟)が必要になると思います。

具体的に言うと、自分を省みる「謙虚さ」「柔軟さ」、自分の”過去”を一度手放す「強さ」などかもしれません。

”持てる者”が学べない理由

しかし、学歴や社会的地位、財産などといった”分かりやすい”アドバンテージは、そうしようと思うなら”逃げ”るための言い訳に使えます。

スピリチュアルのような「うさんくさい」ものよりも、「人から認められる」自分の方を正当化しやすいからです。

また、もともとスピリチュアルは目に見えないものを扱うジャンルで、”トリックスター”的要素が強いし、”まがいもの”も多い。

疑える要素は、いくらでもあります。

それに、中にはスピリチュアルに「魔法の力」を期待しながら、その本心では「(固定観念に基づいて)蔑んでいる」人もいます。

だから、彼らが期待するような「都合の良い結果」が思うように得られなければ、その理由をスピリチュアリティそのものか、スピリチュアリストに転嫁しようと思えばいくらでもできるわけです。

スピリチュアリストの”門前払い”

それは”門前払い”ではない

スピリチュアリストが相談者を”門前払い”する時、それは「相手が嫌い」とか「見捨てる」ではなく、

「学び」を達成する方法は、スピリチュアルでなくてもかまわない

からだろう、と(個人的には)思います。

「学び」は固定観念からの脱却であり、そのきっかけは「心の持ち方の変化」です。

最終的に「学び」が達成されるなら、方法は何だっていいのです。

我々は日々、自分自身のエネルギーに応じた状況を経験しています。

そのうちの不快な出来事や発言について考え、自己改革することで「学び」が達成されます。

スピリチュアルは、目に見えないものの”しくみ”に従って、解決の”ヒント”を与えてくれるだけなので、もしなくても学びは可能です。

ぶっちゃけ言えば、「学び」にまつわるエネルギーを改善せずに肥大させ続ければ、いつか現実化するので、スルーし続けたところで結局、

どうせ「強制的にやらされる」

ことになる。

その場合かなりハードな方法になる可能性があるけど

だから霊能師の立場からは、

「いつかあなたに適切な場所からきっかけを得て、学びを遂行し、しあわせになってくださいね」

私はあなたにとって適切ではないようなので

と思ってるんじゃないかなあ、と。

目に見えるものにこだわる理由

目に見えるものにこだわる人が、なぜそうするのかには様々な理由があるとは思いますが、個人的には、彼らは

「目に見えない場所にある美を見極める”審美眼”がない」人

です。

目に見えるものはすべて、目に見えない場所から生まれてきます。

目に見えない場所は、すべての根源です。

目に見えないもののような”不確か”なものを見極めるために、「心の目」を持っている必要があるし、

また、不確かなものを信じるためには、人の意見に惑わされず、自分自身(の真実)を信じる必要もあります。

それらを持っていないから、「裏付け」を目に見えるものに求めるのだろう、と思うわけです。

だから、逆にそれらを持っていれば、人から賞賛される要素があってもスピリチュアルは役に立つだろう、と思っています。

あなたのお好きになさったら?

私は時々、美輪明宏さんの、

「私に『お好きになさったら』と言われたら終わりだ」

というお言葉を思い出すことがあります。

自分がもしも霊能師に会った時、そう言われないように日々精進したいと思っています。

”見えよう”が”見えまい”が、肉体を着ている限りは同じ人間ですものね

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