人はなぜ傷つく方へ向かうのか(後編):尊厳への帰還

エッセイ

子どもという導線

Mさんの突破口――それは子どもたちの存在です。

彼女のお子さんの中には、病気や特性を抱えている子がいます。

その支援の方法について、彼女は専門的な講座に通い、長い時間をかけて学び続けています。

学生時代、あれほど勉強が苦手だったにもかかわらず。

彼女が判断の軸を「自分」ではなく「子どものため」に置くと、結果として彼女自身の尊厳が守られる選択がなされることになります。

離婚問題が決着した時もそうでしたが、子どもを不健全な環境から遠ざけようとするたびに、彼女は自分自身をも粗末な扱いから引き離しています。

Mさんは「自分のため」にはできないことを、「子どものため」なら迷わず選べる。

その構造が、彼女自身の学びを推し進めているのです。

関係性の質

Mさんにとって、子どもへの関わり方と、パートナーへのそれは同じかもしれませんが、実際は全くの別物です。

前者は相手の成長を願う健全な献身ですが、後者は欠乏を埋めるための依存です。

見た目はどちらも同じ「尽くす」だとしても、その質が全く異なるのです。

また、Mさんと子どもたちの関係は、互いの成長を助け合う形で機能していますが、これを「親子の縁はありがたいもの」と一般化する必要はありません。

縁には様々なかたちがあり、中には距離を取ることではじめて人生が調和を取り戻す関係もあります。

目に見えるものではなく、自分の心の真実に注意をはらい、それに従うべきなのです。

本来の完全性

Mさんが自分の外側に求め続けている「完全さ」を、彼女はすでに、最初から持っています。

心の痛みを無視し続ける限り、彼女はこれからも傷つき続けるかもしれません。

しかし、魂そのものが損なわれることはありません。

そして、彼女が本来の姿からズレていることを知らせ続けるでしょう。

苦しみは無駄ではありません。

それは、最大の味方である自分自身が、正しい道に戻そうとして鳴らしている警鐘なのです。

おわりに

子どもたちとの日々の中で、Mさんはこれから何度も、彼らの尊厳を守る選択を行っていくでしょう。

それはそのまま彼女自身にも向けられます。

誰も気づかぬうちに。

いつか彼女は、「子どものため」から「自分のため」になることを選べるようになるでしょう。

その時、長い間探し続けていた「自分の尊厳」が、最初からそこにあったことに気づくのかもしれません。

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