はじめに
前編では、ある男性が辿った人生の軌跡を追いました。
成功を渇望し、才能があり、努力も重ねていた彼が、なぜそれを手に入れられなかったのか。
後編では、ある一つの視点から理由を読み解きます。
努力が裏目に出た理由
結論から書きますが、彼の望みが実現しなかったのは、
- 「宇宙の摂理」
- 「現実化の加速」
といった大きな枠組みにそぐわない行動を取ったからです。
そして、その行動に導いたのは、彼自身の「エゴ」です。
宇宙の摂理
宇宙の摂理は、「変化」をその本質としています。
すべての存在は、常に移ろい、循環の中で進化を続けます。
彼による過去作品のリメイクは、摂理の視点から見れば「変化の拒絶」に他なりません。
リメイクそのものは悪くありません。
ただ、彼は変化の流れが止まっている状態でかつての成功を「転用」しようとしました。
また、中心メンバーの退社は、停滞から抜け出す「最後の分岐点」だったでしょう。
その人物は、会社の自由度と柔軟性を奪う大きな要因となっていたからです。
けれども、その機会が活かされることはありませんでした。
現実化の加速
現代は、思考や感情が現実化するスピードがかつてないほど速まっています。
意識のあり方が短期間で結果として現れやすい時代です。
現実化の加速については、こちらの記事で詳しく考察しています
ここで重要なのは、悪循環に陥る前に、なるべく早く軌道修正することです。
彼はエゴによって軌道修正の方法やタイミングを見誤りました。
それは大きな結果の差として表れました。
思考の主導権を奪うエゴ
エゴは、いわば「自尊心を守るための防衛システム」です。
「歪んだ自己愛」「独善性」「猜疑心」「誇大妄想」「執念・執着」など、様々な形をとって現れます。
誰もが持っていますが、問題は持っていること自体ではなく、思考や行動の主導権をそれに渡してしまうことです。
執念と信念の決定的な違い
彼は主に「執念」というエゴに囚われていました。
ここで、その対極にある「信念」と比較してみましょう。
■ 信念 自分の価値観や道筋を重視する
■ 執念 他人の評価や結果に強く囚われる
■ 信念 状況に応じて手法を柔軟に変えられる
■ 執念 非合理でも同じやり方に固執する
■ 信念 「何をするべきか」に焦点を当てる
■ 執念 「結果を前提に現実を従わせよう」とする
自己正当化が鈍らせる「嗅覚」
執念に主導権を握らせていた彼は、「結果が出るまで引き返せない」という袋小路にありました。
しかし突きつけられたのは、不満足な現実。
そこで、新たに「自己正当化」というエゴに身を委ねていきました。
それは現実の認識を都合よく歪め、不快感を軽減させる働きをします。
その代わり、望ましい変化を起こす方法や、適切なタイミングを察知する「嗅覚」が鈍ります。
こうして、彼は以下の3つの状態に陥りました。
成功体験という名の呪縛
彼の技術的スタイルや手法は、徐々に「変わり映えのしないもの」になっていました。
本人はそれを「個性」と信じていましたが、実際には、すでに客観性を失った惰性にすぎなかったかもしれません。
その認識のズレの延長線上に、「原点回帰」という致命的な選択がありました。
現実を歪める人間関係
彼は、「メジャーな活躍を強く望みながら、それが得られない人たち」の集団に身を置いていました。
そこでは現実を突きつけるような意見は排除され、互いを称え合うことで「偽りの安心」が保たれていました。
また、彼は比較的「有力者」として扱われていました。
SNSにはわずかな熱狂的ファンが常駐しており、彼は頻繁に「応援してくれる人たちのために成功したい」と発信していました。
しかし、それは本心の美しいすり替えだったかもしれません。
安易な正解探し
彼は人気を得るために、本質を掘り下げることよりも、芸能人の著書やハウツー本から「キャッチーな正解」を拾い集めることに活路を見出そうとしました。
それらはもともと、彼の方向性に合うものではありません。
持続可能どころか、一時的な解決策にすらなりませんでした。
「ありのままの自分」の喪失
後から気づいたことですが、彼が亡くなる少し前から、私の携帯に月に一、二度ほど非通知の着信がありました。
訃報を知って以降、それは途絶えました。
もしあれが彼からのものだったとしたら――
彼の周りにはもう、本心を打ち明けられる相手はいなかったのかもしれません。
着信元を確かめるすべはありません。
ただ、非通知という手段もまた、かつて私が見た彼のエゴを思わせる防御方法でもあるのです。
執念が最後に残したもの
彼はその人生で、執念が持つ強いエネルギーをバネに多くのことを成し遂げました。
独学ながら高い技術を磨き、数年間とはいえ大きな注目を浴びたこと。
病を抱えてもなお、挑戦し続ける姿勢を貫いたこと。
そしてなにより、生前に病を公表しなかったこと。
彼は「格好つけ」だったので、実力ではなく病気によって注目を集めるのを良しとしなかったのかもしれません。
しかし、病名から推測される症状は軽いものではありません。
その沈黙は痩せ我慢などではなく、もはや表現者としての矜持と呼ぶにふさわしい「美学」にまで昇華されていたといえるでしょう。
おわりに
彼は暗闇の中でがむしゃらに何かを掴もうとしていましたが、すべきことは、本当はたった一つだったかもしれません。
それは、「今が理想通りでなくても、それを一旦赦す」こと。
結果への固執を手放し、欠乏感とは別の感覚を受け入れる時、
囚われていた心は円環からするりと抜け出し、いずれ「信念」を原動力とする持続的な流れに乗っていくでしょう。
もし人生に停滞を感じたら、自分の主導権がある場所を確認するといいかもしれません。
間違った方向に導こうとするエゴに、それを渡してはいないか。
そして、自己正当化によって、その事実から目を背けていないか。
「できるだけ早く」それを見極めることが、この時代を生きる私たちに共通する課題なのかもしれません。





