はじめに
大学生の頃、キャンパスで時々、不思議な気配を感じることがありました。
霊感はありませんが、お盆が近づくと頻度が上がるので、かつての教員や学生の魂だろうかと思っていました。
あるいは戦没学生だろうかと。

この体験は私にとって、戦没学生の人生をスピリチュアルと人間の視点の両面から捉えるきっかけになりました。
理不尽の正体
誰しも一度は、「なぜ自分ばかりがこんな目に遭うのだろう」と思う瞬間があります。
その理由の一つは、人間の思考と宇宙の摂理のズレにあるのかもしれません。
宇宙の摂理としては理にかなっていても、私たちには理解しがたいことがあります。
今回は、戦没学生の人生を通して、この「ズレ」のメカニズムを考察します。
魂と肉体の仕組み
スピリチュアルな視点では、人間は高次元の存在である魂が、一時的に肉体に宿っている存在と考えられます。

魂が人間として生まれてくる目的は、魂そのものを「変化」させるためです。
変化に意味を持たせるために、魂は誕生前に「今回の人生で達成する目標」を決め、それに応じた初期設定生まれる時代、肉体の性質や家庭環境など。や青写真を選ぶと言われています。
その計画は、生まれる瞬間に忘れられます。
人生という体験に本気で向き合えるようにするためです。
苦しみの意味
「目標」を達成するためのヒントは、主にネガティブな出来事の中に隠されています。
人間はポジティブよりもネガティブな出来事に注目しやすく、そこにより長い時間、より真剣に意識を向けます。
ネガティブな出来事は、それを経験する人間の心身を傷つける可能性があります。
しかし宇宙の摂理の視点では、それは問題ではありません。
肉体は「仮の存在」であり、肉体が傷ついても魂は傷つかないからです。
宇宙の摂理は「法則」です。
私たちの苦痛を感情的に判断することはありません。
二つの視点
ここで、戦没学生たちの体験を、人間と魂の両方の視点から見てみましょう。
人間の視点
当時、大学進学者は小学校卒業者のわずか2%。
また、彼らの多くは大正デモクラシーから民主主義を求める気運が高まった時代に育ちました。
そのため、時局を正確に分析する能力と、ファシズムに対してより深いジレンマや葛藤、絶望感を覚える精神性を併せ持っていました。
彼らが直面した現実こそ、まさに理不尽だったはずです。
魂の視点
しかし魂の視点では、事情が異なります。
魂は、計画通りにこの時代を選び、高い知性と教養を育みました。
そして、感性がもっとも鋭敏な時期に、時勢に従い、極限的な体験へと向かいました。
もしかすると、その状況下そのような極限的な経験を必要とするような目標は、難易度が極めて高かったのかもしれません。でしか得られない精神や思考の働きにこそ、目標達成の「ヒント」が隠されていたのかもしれません。
三つのズレ
私たちが理不尽を感じるのは、次の三つのズレによるものです:
- 人間が魂の目的を忘れて生まれてくること
- 魂がネガティブな経験を『気づき』のきっかけとして選ぶこと
- 宇宙の摂理があらゆる出来事を「ただの事実」とみなすこと
そして、人間はこの仕組みに従う以外ありません。
時を超えた祈り
私には、毎年お盆の時期に行う習慣があります。
それは、遠い昔の同窓生である戦没学生たちに、安らぎと深い満足のエネルギーを送ることです。

スピリチュアルでは、人の想いには「質量」があるとされています。
また、現代物理学では、高次元においては時間や空間の制約が通用しないとされています。
だから、この「祈り」は、宇宙の摂理というスピリチュアルの非情に対して、同じスピリチュアルな手段で「一矢報いる」数少ない方法のように、私には感じられるのです。
魂に振り回されない生き方
この世に起こる出来事を見る限り、人間は「何を経験してもよい」とされる存在なのかもしれません。
それは自由であると同時に、極めて残酷な側面も持っているでしょう。
だからこそ私たちは、自分がより望ましいと感じる未来を自らの意思で選び取っていく必要があります。
それは、魂の思惑に翻弄されることなく、「人間」として満たされた生を全うするための、最大かつ唯一の「自衛」といえるかもしれません。




