はじめに
私が大学生の頃、毎年8月になると、キャンパスで時々、不思議な気配を感じることがありました。
私は霊視ができないので、その雰囲気から、「元は人間だったのかな」とか「お盆に大学を訪れる人間なら、元教員や卒業生かな」などと想像していました。または、戦没学生かなと。
私の母校では、1939年から1945年の間に入学した内地出身の学部学生のうち、263人が戦死しているからです。
彼らが生前に経験した出来事を知る度に、私は辛くなりました。彼らが感じたであろう、あらゆる苦しみや悲しみは、彼らの魂にとっては喜ばしいことであり、それはつまり、彼ら自身にとっても喜ばしいことになるからです。
人間と魂
魂の計画
スピリチュアルの観点では、人間とは、高次元の存在である魂が、三次元の物質である肉体をまとってこの世に生まれてきた姿です。
魂がそれを行う理由は、魂を変化させるためです。また魂は、変化の内容に沿った具体的な目標(課題)も持っています。
三次元で行われる理由は、高次元よりも負荷が大きいので、より大きな変化が期待できるからです。
その目標に応じて、人生の初期設定や青写真などが決められています。また、人生に集中するために、生まれた時に、魂だったことを忘れます。
魂の思惑
人間が感じるジレンマや葛藤は、魂にとっては”チャンス”です。
人間の心は、目標に関係がある事柄に反応するようにできているので、人間がそれらに正しく向き合い、それらを正しく扱えば、目標が達成されるからです。
その間、人間の心や身体はダメージを負うかもしれませんが、魂には影響ありません。
戦没学生と彼らの魂
戦没学生の視点
私の母校の戦没学生は、自分たちが尊重され、輝かしい未来を望める立場にあると信じていたでしょう。戦前の大学進学率は、小学校卒業者のわずか2%でしたから。
また、戦争や戦場は、彼らに強い違和感をもたらす現実だったでしょう。彼らの多くが幼少期を過ごした1920年代前半は、大正デモクラシーを経て社会運動が高まるなど、自由主義的な気風が強くあった時代だからです。
彼らの魂の視点
彼らの魂にとって、彼らが直面した現実は、目標達成の手がかりを”人間部分”が獲得するための装置です。
彼らは、高度な知識や教養を持ち、若者ならでは感性も備えていました。複雑で深い思考を巡らせることができたし、中には自分なりの結論を書き残した人もいます。
だから、彼らの魂は、もしかすると、異なる時代や立場で生まれるよりも、より難しい目標を達成できたかもしれません。
スピリチュアルの無情
理不尽な世界
この世のあらゆる出来事は、高次元の物理法則に従う物理現象です。だから、どんな出来事も、高次元の視点から見れば、必ず理に適っています。
でも、人間の視点から見て、理不尽に感じられる出来事はたくさんあるでしょう。
出来事における正確な因果関係を知ることは、この世の誰にもできません。肉体をまとっている限り、高次元や魂の意図を完全には理解できないからです。
それは、球体の表面を二次元で正確に把握できないのと同じです。
ささやかな抵抗
私は学生時代から、お盆の前後の晴れた日、遠い昔に自分と同じキャンパスに通い、この”あべこべの世界”と格闘した彼らに、安らぎと満足のイメージを届けています。
スピリチュアルでは、人の想いには質量があり、また、時間や場所の制約は人間が認識しているものに過ぎません。
だから、その祈りは私にとって、スピリチュアルの無情さをスピリチュアルで埋め合わせる数少ない方法の一つであるような気がするのです。
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