神に届きやすいエネルギー
スピリチュアル界隈では、神社では神様への感謝のみを伝え、お願いごとをしてはいけない、とよく言われています。
私は、神社で神頼みをしても別にかまわないけど、するのであれば、自分を認識してくれている神にした方がいい、と思います。
神は高次元の存在なので、通常、人間をあまり個別に認識していない(と思われる)からです。
神は、「人間の願いを叶えるための存在」ではなく、「人間の願いを叶えてくれることもある存在」です。
じゃあ、自分が神から個別に認識してもらうために、一番簡単で手っ取り早い方法は何か、というと、「神に日々の感謝を伝える」だと思います。
つまり、もし神頼みを叶えたければ、まず、神に日々の感謝を伝えることから始めよ話はそれからだ、ということになり、こういうシビアさは、いかにもスピリチュアルあるあるなのですが、実は、感謝は神に届きやすい種類のエネルギーだと思います。
今回は、私がそれを実感したエピソードです。
旅先で訪れた神社
私が、青森旅行に行った時の話です。
駅でレンタカーを借り、青荷温泉ランプの宿やキリストの墓、十和田湖などを3泊4日でかけて回り、最終日の最後に、岩木山神社に行きました。
参拝を終えた後、先ほど見かけた別の神社が、とても気になってきてしまい、参拝するには遅い時間(15時半ごろ)でしたが、まだ十分に明るかったので、立ち寄ることにしました。
その神社の祭神は、かつて津軽藩主だった人物でした。
彼は、藩の発展に尽力した名君で、社殿は、全国でほぼ唯一現存する吉川神道の建築様式です。
夏の遅い午後、他に参拝客はおらず、あたりは密度を感じるような静けさに満ち満ちていました。
廟所の前に来た時、ふと、太宰治の「津軽」にあった、「豊臣氏滅亡から現在まで、津軽は約5年に一度づつ、凶作に見舞われていた計算になる」という内容を思い出しました。
私は、青森旅行を通じて、これまで訪れた他の地域にはなかったような深い感銘を受けたので、
私が堪能したものが今あるのは、存命中の彼が苦労して築いた礎のおかげなのだな、
人間だった彼と、神となった彼の両方が、今、この地を護っているのだな、
と思いました。
そして、彼が愛したこの土地が、これからもずっと美しくありますように、
と、祈りました。
神の見せたまひし金色の異空間
参拝を終え、車を走らせ始めてから間もなく、霧雨が降り出しました。
空は晴れていたので、同行者と「狐の嫁入りだね」などと話していたら、突然、霧雨が陽光を受けて、じわじわと輝き始めました。
道路の両脇には、穂が実る黄色い田畑が遠くまで広がってましたが、霧雨の輝きは徐々に強くなり、しまいには、視界のすべてが 淡い金色に染まりました。
これまで見たことがない荘厳な景色に、私たちは驚き、車を停めて外に出ました。
雨粒は、水蒸気のように繊細で、髪や服に当たっても、ほとんど濡れませんでした。
見渡す限り人影は見えず、まるで異空間のようでした。
その後、車に戻り、走行中の車窓から外を眺めていたら、ある地点から急激に金色が薄れ、振り返ると、来し方はまだ金色だったので、私は、「ここまでが”彼”の管轄区域なのかな」と思いました。
その後、駅で車を返却して店を出ると、予定に入れていなかったねぶたに遭遇したので、「青森の神様のもてなしは、手厚いなあ」と思いました。
私の体験は、どれも、常識や科学の観点から説明がつきそうですが、私自身は、あの空間は、あの神社の神様が私の感謝を喜んで下さったしるしだと思っています。
その方が単純に気分がいいし、なによりも、実際そう思えるほど、あのひとときは神秘的で鮮やかだったからです。